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中野剛充著『テイラーのコミュニタリアニズム 自己・共同体・近代』

勁草書房、2007年1月刊行

 

まえがき

 

 

チャールズ・テイラー(Charles Taylor)とは誰なのだろうか?この答えを知っている方はこの「まえがき」をとばして、序論から読んでいただきたい。しかし多くの人は、たとえば「コミュニタリアンの一人」といった観点からのみ、彼のことを知っているのではないだろうか。「コミュニタリアン」は彼を理解する一つのキーワードであることを認めざるをえないし、本著のタイトルを、「テイラーのコミュニタリアニズム」としたのも、そこが一番の理由になっている。しかしその他にも、例えば「多文化主義者」や「(分析)哲学者」、「ヘーゲル研究者」あるいは「カソリック社会主義者」としてのみ彼を理解している人が大勢いるのだ。

 これは日本語圏だけの話ではない。英語圏でも学者がそれぞれ、ある分野の研究者として、その分野の視点から、彼のことを「多文化主義者」や「ヘーゲル研究者」として理解しているケースがほとんどである。しかしいったい「チャールズ・テイラーとは誰なのか」と問うならば、彼はきわめて多面的で、領域横断的な思想家であることがみえてくる。その証拠に、これまでに発表された彼の思想に関する研究書は私が知るかぎり全部で4冊あるが、いずれもメインタイトルは彼の名前そのままの『Charles Taylor』となっている。これはつまり、彼の思想と経歴が、一言で言い表すことができないほど多様であることを意味しているのではないだろうか。

その中の一冊のサブタイトルには「深い多様性を思考しながら生きる(thinking and living deep diversity)」と記されているものがある。「深い多様性を思考しながら生きる」テイラーとは、どういうことであろうか?これはたんに彼が、プロテスタント・英語系が圧倒的な北米大陸で、カソリックの(フランス語圏である)ケベック人(事実彼は、イギリス系の父とフランス系の母の元に生まれている)として生きているということにとどまらないであろう。また、彼が世界においてもまれに見るほど多文化化が進んでいるカナダに生まれ、思想伝統において「大陸哲学」と「英米(分析)哲学」のあいだで思考している、ということだけでもないだろう。「深い多様性を思考しながら生きる」ことの意味を、テイラーの半生を簡単に追いながら、少し読み解いてみよう。

1931年カナダ・ケベック州生まれのテイラーは、ケベック州モントリオールにあるマギル大学を卒業した後(1952)、イギリス・オックスフォード大学に学び、マルクス主義と実存主義に関する博士論文を書いて博士号を取得した(1961)。オックスフォード在学中から、イギリス「ニュー・レフト」運動の創始者の一人として活動し、彼はそこで、ソ連型社会主義とは別の形の「ヒューマニスティック」な社会主義のあり方を模索していた。後にいわゆる「カルチュラル・スタデーズ」のリーダーとなるスチュアート・ホールらとともに、雑誌『ユニヴァーシティーズ・アンド・レフト・レビュー』を立ち上げたりもしている。この雑誌はその後、E.P.トムソンやA・マッキンタイアらの雑誌『ニュー・リーズナー』と合併して、『ニュー・レフト・レビュー』となり、テイラーはその初代編集者の一人となっている。またテイラーは、イギリスのニュー・レフトにはじめてマルクスの『経済学・哲学草稿』を持ち込んで、「ヒューマニスティックな社会主義」の可能性を一歩進めた人物としても知られる(ちなみにこのころ、テイラーはハンガリーの非合法地下大学の援助なども行っていた)。

他方でテイラーは、オックスフォード大学でアイザイア・バーリンと出会い、生涯にわたる交友関係を築いていった。テイラーはバーリンの下で学び、その後は、バーリンの思想の最も正当な継承者にして最大の批判者の一人となったのである(第三章第二節)。

カナダに帰国したテイラーは、カナダのマギル大学で教鞭をとりつつ、カナダ・ケベックの「政治家」としても活動を始めている。テイラーは、1960年代以降、カナダの民主主義的社会主義政党であるNDP(新民主党)から4度にわたって立候補し、一度は自由党から長く(1968-84の間に16年間にわたって)首相を務めた現代カナダを最も象徴する政治家といわれたピエール・トルドーと同じstar candidateとして議席を争ったこともある4度とも落選したものの、NDPの副党首まで務めた。

その後、次第にアカデミックな活動に重点を置くようになったテイラーは、最初の著作『行動の説明』(1964)以来、徹底した自然主義(naturalism)批判者として、多くの著作と論文を著していった。1960年代から1980年代にかけて、テイラーは、人文・社会科学を自然科学に還元しようとする当時の潮流――彼が自然主義と呼ぶもの――を批判して、「自己解釈(self-interpretation)」的存在としての「人間行為者(human agency)」を考察の対象とすべきことを訴えている(第一章、第二章)。

1980年代以前のテイラーの業績で最も定評があるのは、いわゆる大陸哲学と英米(分析)哲学を架橋する仕事であろう。彼は、ヘーゲル、ハイデガー、ガダマー、メルロ・ポンティといったヨーロッパ哲学の伝統を背景に、狭義には分析哲学、広義には人文・社会科学全体を対象としつつ、そこに解釈学的な方法論を導入し、また独自のヘルダー解釈やウィトゲンシュタイン解釈に基づいて、人間と言語の(決して「道具的」ではありえない)本質的な関係性を解明していった。こうしたテイラーの研究は、『科学革命の構造』のトーマス・クーン、『文化の解釈学』のクリフォード・ギアーツ、『哲学と自然の鏡』のリチャード・ローティ、『コンピューターには何ができないか』のヒューバート・ドレイファスといった英語圏を代表する哲学者たちに、少なからず影響を与えたといわれている。

またテイラーは、英語圏では最高のヘーゲル研究者の一人としても知られている(第四章第一節)。1975年の大著『ヘーゲル』、および1979年にその一部を要約した『ヘーゲルと近代社会』の刊行は、それまでのカール・ポパーやシドニー・フックらによる偏狭なヘーゲル理解を、英語圏から一掃したといっても過言ではないだろう。テイラーは、ポスト・マルクス時代における哲学の可能性を提示する人物としてのヘーゲル、あるいは、西欧近代の最大の倫理的課題である「啓蒙主義とロマン主義のコンフリクト」を止揚した人物としてのヘーゲルという、新しいヘーゲル像を提示したのであった。

1980年代になると、テイラーはいわゆる「西欧近代」の問題にとりかかりはじめる。この時期には、他にも例えば、ハーバーマスやフーコーやマッキンタイアなどの思想家が同じ問題に取り組んでいるが、テイラーの立場は、「西欧近代」を全否定するのでも全肯定するのでもなく、そこに隠されたいくつかの善を「分節化(articulation)」することによって、主としてポスト・ロマン主義的な道徳性に、西欧近代の「救済」の道を見出そうとするものであった(第五章)。大著『自己の諸源泉』(1989年刊、現在までの主著と見なされている)や、その一部を発展させた小著『真正さの倫理』(1991年)は、この時期の代表作である。

また同じく1980年代から、テイラーはいわゆる「コミュニタリアニズム」の代表的論客の一人として、大きな注目を集めるようになる(第四章)。70年代から80年代にかけて、英語圏においてはジョン・ロールズの『正義論』(1971年)が脚光を浴び、政治学・経済学・哲学・倫理学といった領域に「ロールズ産業」が構築されたとまで言われていた。これに対してテイラーは、ロールズの『正義論』に代表される現代リベラリズムの偏狭な自己概念や政府の中立性の概念を批判し、「トクヴィル主義者」として、民主主義的コミュニタリアニズムの理念を対置したのであった。テイラーの思想は、アミタイ・エッツィオーニらに継承され、アメリカ合衆国では「応答するコミュニタリアン運動」として大きな勢力を形成していく。そして彼らのコミュニタリアニズムは、ビル・クリントン前大統領やアル・ゴア前副大統領といった「ニュー・デモクラッツ」たちに、少なからず政治的影響を与えたといわれている。

1990年代になると、テイラーは『多文化主義と「承認の政治」』(1992=1995)を発表して、「多文化主義」論争の中心的な人物として注目を浴びる(第四章)。この論文その他によって、テイラーは、現代における人間のアイデンティティと「承認(recognition)」の本質的な関係性を明らかにし、1990年代のケベック危機(1995年の州民投票においては、50.5%対49.4%の僅差で、カナダからのケベック分離・独立が否決されている)に対して真摯な政治的・文化的な提言をおこなった。テイラーはこのとき、一方では偏狭なケベック・ナショナリズムを批判しつつ、他方では個人の権利を絶対視する連邦(憲章)主義を否定して、多様なアイデンティティを生き、かつ承認するという、「深い多様性(deep diversity)」の理念を訴えたのであった。

近年のテイラーは、宗教、とくにキリスト教とカソリックの問題を正面から取り扱うようになっている。批判者たちは、テイラーの思想のカソリック的な側面(例えば目的論的な性格など)を批判するが、個人の信仰としてのカソリシズムはともかく(彼は前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世とも深い親交があった)、彼の思想全体を「カソリック」の観点から理解することはやはり難しいであろう。ただし近年、テイラーにとって、カソリックや宗教そのものの現代世界における意味や役割が大きなテーマになりつつあり、現在(2006年9月)執筆中と言われる大著も、その方向性で議論が展開されるものと思われる。

このようにテイラーは、まさに自身の生と思考において、深い多様性を生きてきた人物であった。その多様性の内実については、本論で詳しく検討していきたい。最後に、ナンシー・フレイザーが「9.11は『承認の政治』である」と述べているように、テイラーが提起した「アイデンティティと承認」の問題や、現代世界と宗教の関係、そして彼が近代の本質的な問題とする「諸々の善の和解(reconciliation)」の問題は、今後も21世紀全体を覆う大きな問題となることは予想するに難くない。こういった意味においても、テイラーの思想は、これからも注意深く読みこむ価値があるように思われる。